なぜ書くか。/読みたいことを、書く。
始まりは言語化力をつけたい。というシンプルな動機でした。
話すのは嫌いじゃないけど、自分の考えがうまく伝わらないと感じることがある。それは言葉の選び方だけではなく、考えること自体が十分に整理されていないんだと気づいていました。
だから、”書く”ことで考えを形にする習慣を作りたかった。
でも、いざ書こうとすると、何を書けばいいか分からなかった。
アルゴリズムはどちらかといえば、何かの専門家を求めている。
一つのテーマに絞り、その道のプロとして発信する。
でも僕はそれが嫌だった。書くことの幅を狭めたくなかった。
何かの専門家としても振る舞いたくなかった。
僕は、僕のままで書きたかった。
悩みが沼に嵌りかけた時、田中泰延さんの「読みたいことを、書けばいい。[1]」を読みました。読み終えて残った問いは、
「僕の読みたいこととは、何だ?」
AIがチェスを解析した日、ヒトは居なくなったか
少し、チェスの話を例に出してみます。
僕はタクティクスと言われる、将棋でいう詰将棋のようなものが好きで、暇つぶしによくやります。対局もたまに観ます。
AIはチェスで人間を遥かに超えています[2]。
将棋も同じで、中継を観れば、リアルタイムで勝率が表示され、人間には見えない正解がそこにあることを突きつけられます。

でも、人間が指すチェスや将棋の価値は消えていません。
人は最適解だけが見たいのではないからだと思います。
人間が悩み、選び、盤面をつくり上げるプロセス。
そこにある人間の”主体性”に価値を感じるからだと思います。
音楽も同じで、AIは完璧な演奏ができるでしょう。でも、ライブにはその場に生まれる何かがある、。人間が考えた軌跡であり、主体が人間であるという事実そのものが、僕たちの心を動かすのだと思います。
僕が読みたい記事も、きっとそこにある。
誰かが本気で考えたプロセスが滲み出る記事。
noteを始めてみた。
noteは素晴らしいプラットフォームです。
発見される。読まれる。スキももらえる。
お互いをリスペクトし合い、クリエイター同士で高め合おうという意識も感じる。圧倒的なプラットフォームになるのも頷けます。
スキ自体は嬉しいですし、良い機能だと思います。ただ、それが常に目に入る位置に表示されている。その数が記事を読む動機としても機能している。
ショッピングモールに出店している感覚でした。人通りが多いところに出店をする。
たかが数記事を書いただけですが、それでも軸がブレがちでした。
「読みたいことを、書く」が、「読まれたいために、書く」に。
僕がやりたかったのは個人経営店なのだと気づきました。
僕が助けられたのは、多くの場合、個人ブログです。
誰かが深く考えて書いた、光の当たりにくいブログ。
それが知りたかったことへの答えをくれることが何度もありました。
だからそういう場所にしたいと思いました。知りたい人が彷徨って、フラっと立ち寄ってみたら、助けられた。そんな場所。
noteは僕には光が強すぎた。それだけのことです。
Zettelkastenという執筆システム
僕はZettelkasten[3]という考えが好きです。
本質的には、執筆こそが思考を深める方法だとしています。
理解した内容を書く。その作業において、理解はより洗練される。
逆に執筆テーマから、新たな理解も生まれる。相互補完的に。
だからアウトプットの場は、絶対に必要だと考えました。
無光層
情報が絶え間なく流れる場からは切り離して、深いところで書いてみたくなりました。
光が当たらない層でちらりちらりと、時々SNSという有光層に少し浮かぶ。それくらいのスタンスが書きやすくなるのかなと思いました。
人に知られるまでは、遠い道のりだとはわかっています。
それでも書くことはやめません。
僕のプロセス、記事がいつかの誰かの助けになれば。
[1] 田中泰延『読みたいことを、書けばいい。』ダイヤモンド社(2019年)
https://amzn.asia/d/01NCroXI
[2] WIRED Japan「グーグルの最新AI『AlphaZero』は、3つのゲームで人間を超えた」(2017年)
https://wired.jp/2017/12/08/deepmind-alphazero/
[3] Zettelkasten - Wikipedia
https://en.wikipedia.org/wiki/Zettelkasten